彼と出会ったのはもう20年以上も前。
あたしも歳をとるはずだわ。
初めて会ったとき、彼はまだまだ子ども・・・いえ、ベイビーだったわ・・・・
それがあんなに頼りがいのある『男』になるなんて・・・。
私の青春・・・私の忘れられない彼・・・・
いつも私の帰りをひたすら待って、遅くなっても文句を言わず、私の顔を見ると
その小さなしっぽを振って喜んでくれたっけ・・・
・・・・・・・しっぽ?
・・・・・・・彼でーす。
彼の名はワンサ君。私が始めて飼ったお犬様。
まだ手のひらに乗るほど小さい頃に我家にもらわれてきた雑種の男の子。
お向かいに住むお母さん犬が大好きでよく遊びに行っていた私は、いつもいつも犬が飼いたくて飼いたくて、許してくれないウチのお母さんをのろってしまいそうな勢いだった。
コワイコワイ。
ところがある日、知り合いのおじさんが言ってくれた一言がきっかけで急にお許しが出た。
「るーちゃん、こないに飼いたがってるし、犬一匹くらいそないに手間かからんよ」って。
・・・今から考えれば無責任極まりない助言ですが、その当時の私にとってはまさに、
渡りに船っちゅー感じで、「おっちゃん、よーゆーてくれた!」と肩のひとつでももんであげたいくらいだった。
かくして我家にやってきたワンサ君。名づけ親はワンサをくれたオウチのお兄ちゃん。
たぶん当時サ○ワ銀行(現U○J銀行)のマスコットだった白い犬から、犬というつながりだけで連想されたのだと思うが、選択の余地なく「ワンサ」に決まった。
彼との毎日は夢のようで、子犬の頃はうれしくって散歩もよく行った。
行く先々で発揮されるワンサ君のどんくささ。
お母さん犬が飛び越えた幅80センチくらいのたんぼの水路を、他の子犬は最初から飛べないと分かって飛んでないのに、ワンサ君だけが後をついて飛んでしまい、
まるでコントのようにお腹から着水。深くもないのにあせっておぼれる始末。
また、コンクリート製の側溝のふたにあけられた、ほんの5.6センチの四角い穴。
規則正しくあけられたその穴に、まさに、規則正しく一本ずつ足をはめてしまい、
一足進むごとに「ひゃん!」と泣き声をあげてはまりながら前進するワンサ。
はたまた、軽快な足取りでお散歩中、「プ」とおならをしたワンサ君は、
何が起こったのか理解できずにめちゃめちゃビビってオシリの方向に振り返る。
すると、また「プ」と自分のオシリのほうで音と何かが触ったような感触(タブンね)がする。
「ハヒ?」ってな顔して、またくるりと方向転換。
「プ」くるり。「プ」くるり。と4.5回やってはたとワタシを見上げる。
「ち、ちがうよ。あたしなんもしてないって!」思わずまじめに言い訳するワタシ。
遠い日の懐かしい思い出。
そんな彼は16年の寿命を全うして天国へいきました。
あれからもうずいぶん経つけど、いまだに彼の小屋が捨てられない。
粗大ごみの日が来るたびに、『今日こそ』とは思うんだけど。
オジョーがやってきてからも彼を忘れたことはない。
若かりし日のワタシの悲しみも喜びも全てをそばで見て、一緒に育ってきた彼。
思い出というのはいつまでもココロにのこり、ちいさな「うずき」みたいなものを感じさせる。
いつか彼の小屋を捨てる日が来ても、彼の思い出がなくなるわけではない。
ただ、若かりし日のワタシの姿や想いいがまだその小屋の中にワンサと一緒に残っているようで捨てられないのかも。
あーん、あたしって詩人。
今ワタシがオジョーを溺愛しているのは、ワンサにしてあげられなかったことを
してあげたいと思っているから。(多分に過保護にはなってますが・・^-^;)
彼に返しきれなかった『恩』をオジョーを通して返したいと思う。
失恋した時の涙。つらくてへこんでばかりいたときの涙。
ワンサ君の隣に座ってなめてもらったその涙はもうすっかり乾いたから、
今思い出すのはドンくさくて笑った思い出、いつも笑ってるようなワンサ君の顔、
今これを書いているだけでもニへーッと笑みがこぼれてくる。
犬ってすばらしい。ワンサ君ってすばらしい。オジョー、あんたもすばらしい。
お犬様ばんざいだ!